X(旧Twitter)のオタクがInstagramを始めて各SNSの特徴について感じたこと。(雑記)

X(旧Twitter)(未だにイオンをジャスコと呼ぶ人間なので以下Twitterとします)を主な生息地としていたオタクが、この度インスタを始めました。

試しに自己紹介として1投稿分の投稿画像を作ってみてふと物足りなさを感じ、こうして今、なぜかブログにまで手を出しています。

せっかくなのでこれで最初の記事を書いてみることにしました。

後ほど触れることになりますが、各SNSの特徴について学校に例えてみるとこう↓↓

※これは万人に共通するものではなく、あくまでもわたしの使い方を参考とした場合の例えです。

オタクではないと共感できない部分が多々あります。

フェイスブック…全校朝礼

Instagram…選択授業

Twitter…休み時間

Tik Tok…放課後(※手を出していないので完全なるイメージ)

まず、わたしが普段インスタでフォローしている人のジャンルは以下の通りです。

・美容

・貯金、投資

・読書

・料理(自炊)

・オタ活記録(ジャンルに囚われず、グッズ収納やディスプレイを知りたいため)

…など。

気になるアカウントがあれば大して気にもせずフォローボタンを押し、「お、この人なんかいいな」と思ったら、過去投稿や、なんなら初期の投稿まで遡る。投稿に関係ない出身地・現在地・職業・年齢・結婚、子供の有無、趣味・休日の過ごし方など、個人がイメージできる情報があって親近感が湧くと今後積極的に追っていこうという気持ちになる、他人への興味が尽きないタイプ。

インスタは数々のジャンルをフォローしているにも関わらず、一貫して内容がシンプルなものが多いような気がします。

もちろんシンプル=内容が薄いと言っているわけではなくて、どれも情報量が豊富で面白い。紹介しているグッズや本を買ったことも何度もある。

そして、個人情報を載せろと言っているわけでもない。むしろバンバン載せている方がその人のリテラシーを疑って一歩引いてしまう。

それなら、「シンプル」とは何を指すか。それはジャンル特化型という性質が所以するのではないではないか、という考えに至りました。

重ねてとはなりますが、わたしのプライベートでの主なSNS活動拠点はTwitterです。

オタク趣味を生業としており、ごく稀に二次創作(小説)をし、ごくごく稀にオフ活動として本を頒布する(弱小サークル)。

推しCPの幸せを常に考え、公式へのお布施としてグッズを買い、原画展があれば足繁く通い、本誌が更新されたら実況ツイートを連投する、どこにでもあるオタクアカウントの中の一つにわたしがいます。

と言っても、Twitterでは基本的にオタクしかフォローしていないけれど、みんながみんなわたしと同じような内容のツイートをしているわけではなく。

今日食べたご飯、飼っている猫の写真、会社の上司の愚痴、推しのぬい(ぬいぐるみ)写真etc…

最初はジャンルが同じで、推しているCPが同じで、それぞれへの価値観が同じで、そして中には書(描)いている二次創作のファンで、フォローボタンを押す。

けれど、ジャンル移行がある限りオタクはいるべき場所が移り変わっていくもの。ジャンルが変われば付き合う人も変わる。そのためかつて相互だった人も、自分の興味ないジャンルへ移ればフォローを外すこともしばしばある。

その中でも、別ジャンルへ行こうと、もう二次創作作品をあげていなかろうと、フォローを続けている人も多くいる。それはその人の何気無いツイートが面白かったり、たまに挙げてくれる猫の写真に癒されていたり、今日の夕飯の写真をあげたのをきっかけに自分の夕飯を決めたり、が当たり前になっているから。どれだけわたしがTwitterというSNSツールに依存しているかがわかるでしょうか。

そして、「かつては同じジャンルを愛した人間が、いまは道は違えどなくてはならない存在となっている」ことの心地良さが伝わるでしょうか。

言ってしまえば、わたしはそのフォロワーたちの「生活」のファンでもあるのです。

インスタグラムは投稿テーマがはっきりとしている分、フォローの取捨選択が激しい傾向がある(と勝手に思っている)。

例えば北欧風インテリアを揃えたお部屋づくりをしています!といったアカウントに憧れてフォローしていたけれど、好みが変わりモノトーンを基調とする部屋を作り始めればそのアカウントのフォローは外すかもしれない。

例えば一人暮らしをしている時に、同じく一人暮らしをしながら年間100万円貯金しています!といったアカウントをフォローし参考にしていたけれど、自身が結婚・出産し生活スタイルが変われば同じような生活スタイルのアカウントをフォローし、かつて参考にしていた一人暮らしアカウントのフォローは外すかもしれない。

それはその人に飽きたからではなくて、インスタグラムというジャンルが細分化されている性質上そのアカウントから得られる情報は期待できない、ということになるので至極当然の流れと言える。

けれど、たまに思う。この人の発信する投稿で自分が得られる情報は少なくなったからフォローを外すけど、この人の「生活」を覗き込んでみたかった、と。

ここで冒頭の各SNSの特徴を例に当て嵌めるとこう↓↓

先述の通り、これはあくまでもわたしの中の使い方を参考としているので誰しもが共感できるものではありません。

▪️フェイスブック…全校朝礼

・特に絡みはないけれど顔(アカウント)を探そうと思えば見つけることができる。名札(アカウント名)も本名だし。

・学校中の教員の目があるため、きちんとブレザーを羽織りネクタイやリボンも忘れず、投稿内容も至って真面目。なんならよそ行き。

・割と大きな報告はここでする。入籍しました(苗字変わりました)、子供産まれました、引っ越しました、など。

▪️Instagram…選択授業

・自分が専攻したいジャンルを選択(フォロー・投稿)するので、そこで出会う人とは必然的に共通点がある。

・授業中にするやり取りはその授業(ジャンル)に関する内容が中心。あまりプライベートなど込み入ったことは話さない。

・その分野に特化して学ぶため、より専門性が得られる。

・ストーリー機能はなんとなく素に近い気がするため、先生がいない時間のわずかな雑談。

▪️Twitter…休み時間

・思ったこと、感じたことを気軽に話せる(投稿できる)。

・話すこと(投稿内容)も日常的な何気ないものが多い。

・取り繕わないため一番個性が出やすく素に近い。

・トレンド機能により最先端の情報が目(耳)に入りやすい。噂話などの発信源。

▪️Tik Tok…放課後(※多いなる偏見です)

・なんとなく自由度が高い

・どことなく無秩序

Twitterのフォロワーの生活に依存していた通り、インスタを始めるとインスタをフォローした人の「生活」をきっと知りたくなる。

選択授業で出会ったその場限りのはずの人と、クラスでのこと、部活のこと、趣味のことなど色々話してみたくなる。今日の夕飯のメニューなに?とか。

けれど授業中はそういう話をする時間(キャプション)も少ないし……けれどわたしは知りたいしわたしも知ってほしいし……

そう思って同時に始めようと思ったのがこのブログです。(回収が長くなって申し訳ないです。)

選択授業で話せないなら交換日記を書けばいい。ただし、この場合日記は返ってこないためわたしが一方的に送りつけることになる。一方的に雑多な文章を送りつけることになにか既視感があると思ったので、ブログのタイトルを「生活の記録」としました。中学生の時に日々提出していたあれのことです。もしかしたら呼び方は地域差があるかもしれない。

なので、もし気が向いたら赤ペンを手に一言でもいいのでコメントをいただけたらうれしいです。

花丸はいらないので、「それ、わかるー」とか「自分はこうだった」とか。

もちろんそれは投稿内容によることも重々承知なので、しばらくの間真面目に、内申に響くとでも言い聞かせて、頑張ってみることにするので、お付き合いいただけたら幸いです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました